瀬戸田の耕三寺 ― 2013年10月04日 05時22分
尾道シリーズ、続けます。
尾道といえば“瀬戸田の耕三寺(せとだのこうさんじ)”
いつか出したいとずっと思ってたのが今回実現しました。
尾道人ならまず知らないとか、行ったこと無いって人はいないはず。
いろんな寺院があるけど、ここほどユニークなのをRyanは他に知りません。
尾道といえば“瀬戸田の耕三寺(せとだのこうさんじ)”
いつか出したいとずっと思ってたのが今回実現しました。
尾道人ならまず知らないとか、行ったこと無いって人はいないはず。
いろんな寺院があるけど、ここほどユニークなのをRyanは他に知りません。
場所はしまなみ海道のひとつ、生口島(いくちじま)です。
画家の故・平山郁夫画伯の故郷で“瀬戸田”は地名です。
耕三寺のすぐそばには平山郁夫美術館があります。
今でこそ尾道市の一部だけど、Ryanの記憶は豊田郡瀬戸田町の時代。
親戚が来ると船に乗って耕三寺に観光に行くというのが
お決まりのパターンでした。
子ども心にはただの観光施設、地獄があって怖い処、
なんか変なお寺さんという感じじゃなかったかなあ。
ここ以外だと福山の“鞆の浦”とか“阿伏兎観音”とか行ってましたね。
なんか地味なところばっかりですね。
どこかで見たような造形ばっかりでしょ、なんとなく。
“西の日光・耕三寺”って尾道では呼んでました、今もそうかな?
おどろおどろしい洞窟があります。
今はどうってことないけど、子どもの頃は気味悪かったですねえ、
悪さ、いたずらするとここに閉じ込められそうで恐怖の洞窟でした。
入り口から地獄絵がずらっと続いて途中から極楽浄土の世界なんだけど地獄のシーンばっかり記憶に残って怖い処でした。
簡単に言うと瀬戸田町出身の実業家が事業に成功して
亡くなったお母さんを供養するために建てたお寺なんですね。
昭和10年ごろから建設にかかって30年かけて今の形になって
今もまだ進化というか拡充が続いています。
いつまで経っても母は母、母は偉大であり永遠です。
親父のほうはどうも分が悪い、母に比べると影が薄い気がするな。
これはRyanのことですけどね。
昔は尾道から連絡船で往復してたけど、今は「しまなみ海道」の一部で橋でつながってます。ほんの30分ほどドライブすると行けますからね。
まだ未経験って人は一度訪ねてみたらどうでしょう。
ところで昨夜のカープ、前田智徳選手の引退試合でしたね。
ほんと24年もの長い間、怪我に悩まされながらお疲れさまでした。
ピッチャーの菊地原選手もそうだけど、しばらく野球を忘れて
ゆっくりして欲しいです。
いずれまたユニフォーム姿で戻ってくるでしょう。
その頃も、たくましいカープであり続けることを願ってます。
==========================
機材/α700
コシナ19-35mm F3.5-4.5 AF
昨日の歩数(8,254)
ほんと24年もの長い間、怪我に悩まされながらお疲れさまでした。
ピッチャーの菊地原選手もそうだけど、しばらく野球を忘れて
ゆっくりして欲しいです。
いずれまたユニフォーム姿で戻ってくるでしょう。
その頃も、たくましいカープであり続けることを願ってます。
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機材/α700
コシナ19-35mm F3.5-4.5 AF
昨日の歩数(8,254)
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