大野陸軍病院跡2009年08月28日 22時26分

広島 大野陸軍病院跡
昭和20年9月17日、猛烈な台風が九州に上陸し西日本に暴風雨を
浴びせながら日本海へ抜けました。

このとき、大野町の山際にあった陸軍病院が土石流で海まで流され
患者と医師、職員等180名が亡くなるという大惨事が起こっています。

患者の多くは8月6日の原爆犠牲者でした。
まだまだ傷も癒えないうちに、台風災害に巻き込まれ命を落としました。

世に有名な枕崎台風です。


柳田邦男氏の著書、「空白の天気図」はこの惨禍を克明に綴っています。

いま大野町には慰霊碑が残るのみ、病院の面影はありません。

私は原爆も大野町にも縁は薄いし、その時代に生まれてもいませんが、
若い頃にその本を読んでから原爆=台風のイメージがずっとつきまといます。

京大原爆調査団碑2009年08月28日 22時55分

京大原爆調査団碑
昭和20年9月17日、大野町の陸軍病院は枕崎台風により流失、
患者や医師、病院職員など180名が亡くなっています。


この惨禍に京都大学の医学部、理学部からなる原爆災害調査団の11名が巻き込まれています。


今の宮浜温泉街を少し登ったところにある米山広場。
ここに慰霊碑が建立されています。



前々から8月6日が来ると、現地を訪ねてみたいなあと思っていました。


私は医者でもなければ、京大の関係者でもありませんが、
原爆投下から一ヶ月、その年の台風災害で亡くなった人が
広島県全体で3,000名を越えたという事実も若い人に
伝えないといけないと思っています。